「愚者は成時に闇く(くらく)、智者は未萌(みほう)に見る」 戦国策
「愚かな者とは、悪い物事が起こってきた段階でも、まだ気づかない人物であり、智慧のある者とは、まだ兆し(萌し)が起こった段階であらかじめ察知し、最適な対策を講じることができる人物のことですよ」…という意味でしょう。
私がよく「高橋師範の名前の『暁』に極意があるんだよ」というのはこの理由からです。
未萌に見るとは、言わば危険察知能力。
厳しい実社会を安全に生き抜くためには大事なことです…。
参考までに「合気とは、敵の仕掛ける技を未然に察知できる能力のことだ」と説明する古武道家もいらっしゃいます。
確かに敵の仕掛ける技が未然に察知できれば、これに越したことはありませんね。
なお、この「智者は未萌に見る」は元来、武道家の徳の一つとして重要視されてきたものです。
さて、社会生活上では、
1.「何となく気になる。または、何となくそんな感じがする」、
2.「自然と周囲から自然とある方向性へ誘導されている」
…が羅針盤です。
もちろん、これには空気が読める以上の感覚(嗅覚?)が前提になります。
このことが理解できる精神状態で、この事実に確信が持てた場合にようやく「見えないものへの感謝」や「おかげさま」の意味が理解できるようになり真の信仰心が生じます。
このうえで始めて、「智者は未萌に見る」ことが可能になるようです。
何も宗教の話をしているのではありません(笑)
古今東西の「覚者」と言われてきた人には、当然のこととして生じる事実ですし、「このことなくして大成することはない」と喝破する空手家も存在します。
合気道開祖植芝盛平先生の神業も「未萌に見る」ことなくしては不可能でしょう。
【リンク】
◇宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」
◇合気道元徳会ブログ「合気の舞」
◇合気道元徳会道場長コラム「サムライハート」
◇Youtube「Aikido Gentokukai」チャンネル