宮崎県西都市を中心に活動している宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」のブログです。当会は「人間性の向上と健康的な心身の獲得」を目的に活動しており、幼少の子供からシニア世代まで幅広い年齢層の方が稽古しています。護身術や心身鍛練はもとより、健康法や心身浄化法としても優れた合気道は、年齢性別を問わず楽しめる生涯武道で「自己を高め、魂を磨く武道」と呼ばれています。私達は、この素晴らしい合気道を一人でも多くの人に伝えたいと考えています。興味のある方は、ぜひ一度見学にお越しください。詳細はホームページをご覧ください。

2018年1月26日金曜日

和を貴(たっと)しとなす

 「和為貴」 (和を貴(たっと)しとなす) 論語


 聖徳太子の十七条憲法の冒頭に掲げた「和をもって貴しとなす」の原文と言われている論語の一節です。


 「和の武道、合気道」の「和」ですが、社会生活を営むには、この「和」というものがたいへん重要になり、また、この和を保つには「礼」が必要となってくることは、社会に出れば、一部の特殊な職業を除き、いやがおうにも体感します。


 それでは、「礼」とは何なのでしょう?


 深く考えれば、人生を無事に生き抜くためのスキルなのかもしれませんが、分かりやすく言えば、「立場をわきまえ、不快感を与えないこと」になるのでしょう。


 先日、懇意にしている国会議員との懇談の席で、「敬語が使えない(使わない?)人が増えている」、「他人に対して基本は敬語! …が崩れている」との話を聞きました。


 しかも、「様々な道の指導者が既に正しい日本語が使えないので…」とのこと。確かに、私も眉を顰めることは多々ありますね。


 もともと礼とは、他人に不快感を与えたがために、様々な仕打ちを受けぬ工夫でもあったわけで、結果、身を守る手段の一つ。


 もちろん、自分を磨いてくれる相手に対する敬意など、ほかにも理由は多々ありますが、このようなことから、武道は礼に始まり礼に終わります。


 このようなことで、「礼を度外視したものは、武道とは呼べません」という意見があったとしたら、それは当然であり、至極ごもっともなのです。


 和を保つにはマナーが肝心。


 悪いお手本にならぬよう気をつけましょう。


 私も気をつけます。



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2018年1月19日金曜日

未萌(みほう)に極意あり

 「愚者は成時に闇く(くらく)、智者は未萌(みほう)に見る」 戦国策


 「愚かな者とは、悪い物事が起こってきた段階でも、まだ気づかない人物であり、智慧のある者とは、まだ兆し(萌し)が起こった段階であらかじめ察知し、最適な対策を講じることができる人物のことですよ」…という意味でしょう。


 私がよく「高橋師範の名前の『暁』に極意があるんだよ」というのはこの理由からです。


 未萌に見るとは、言わば危険察知能力。
 厳しい実社会を安全に生き抜くためには大事なことです…。


 参考までに「合気とは、敵の仕掛ける技を未然に察知できる能力のことだ」と説明する古武道家もいらっしゃいます。


 確かに敵の仕掛ける技が未然に察知できれば、これに越したことはありませんね。


 なお、この「智者は未萌に見る」は元来、武道家の徳の一つとして重要視されてきたものです。


 さて、社会生活上では、
1.「何となく気になる。または、何となくそんな感じがする」、
2.「自然と周囲から自然とある方向性へ誘導されている」
 …が羅針盤です。


 もちろん、これには空気が読める以上の感覚(嗅覚?)が前提になります。


 このことが理解できる精神状態で、この事実に確信が持てた場合にようやく「見えないものへの感謝」や「おかげさま」の意味が理解できるようになり真の信仰心が生じます。


 このうえで始めて、「智者は未萌に見る」ことが可能になるようです。


 何も宗教の話をしているのではありません(笑)


 古今東西の「覚者」と言われてきた人には、当然のこととして生じる事実ですし、「このことなくして大成することはない」と喝破する空手家も存在します。


 合気道開祖植芝盛平先生の神業も「未萌に見る」ことなくしては不可能でしょう。



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2018年1月12日金曜日

人はすべからく事上に在って磨くべし

 さて、「人須磨在事上」、
 人はすべからく事上に在って磨くべし 伝習録


 社会生活上、仕事など日々の実践を通じて自分を磨きなさい!
 …という意味だと思います。


 学問、つまり知識だけでは、なかなか生きた知恵が身に付かない…、
 知識を見識に変えていくには、学問と並行して社会生活上での実践で鍛えなければならない…、そして、実践で鍛えに鍛えて、ようやく真理が肚に納まる…、これを胆識とよぶのでしょう。


 生兵法は怪我の元、そして付け焼刃は役にたたない…。
 実践で磨かれてこそ、知識も人間も本物に近づけるのだと思います。


 伝習録は、「知行合一」を説いた王陽明の本です。
 敬愛する西郷隆盛さんも愛読したとのことから、20代前半に取り組んではみましたが…、これが、なかなか難儀した記憶があります。


 …が、最近、久しぶりに手にとってみると内容がよく理解できる気がするのは勘違い?
でしょうか(笑)


 不思議なものです。



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2018年1月1日月曜日

平成30年「新年のごあいさつ」

 新年明けましておめでとうございます。


 皆様におかれましては、健やかに輝かしい新年をお迎えのことと心からお慶び申し上げます。
 


  昨年中は、宮崎合気道会グループの各道場の関係者の皆様には様々な形でご協力をいただきました。この場をお借りして、心より感謝と御礼を申し上げます。ありがとうございました。


 さて、高橋師範と協議を行い、本年のスケジュールについて下記のとおり計画しましたのでご報告いたします。



  1月6日(土)に生目台道場で宮崎合気道会グループの初稽古。


  1月10日(水)は、西都道場で初稽古。


  1月6日(土)に宮崎合気道会グループの新年会。


  3月4日(日)は、合気道小林道場の小林弘明道場長を迎えて講習会を開催。


  ゴールデンウィークには、グループ全体の合宿。


  5月26日(土)は、第56回全日本合気道演武大会。


  7月~8月には、宮崎合気道会グループの暑気払い会。


  9月は、昇段審査(予定)と合気道小林道場50周年記念演武大会。


  11月は、西都市合気道演武大会の規模を拡大し、第3回合気大祭・宮崎県合気道演武大会を開催したいと考えています。


  なお、昇級審査は、例年通り、一般クラスは3月、7月、11月の初旬、西都道場の子供クラスは2月と7月に行います。


 以上、スケジュール調整をよろしくお願いいたします。




 さて、昨年は、第55回全日本合気道演武大会への出場(3回目)、合気道研心会狭山台道場の20周年記念講習会と祝賀会、第2回合気大祭・西都市合気道演武大会の開催、小林弘明師範による講習会の開催等々、更なる飛躍の年になったのではないかと思います。


 「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」、決して安住することなく変化し続ける‥、ここに武術の本質があると思います。これからも、よき伝統を守りながら(不易)進歩に目を閉ざさない(流行)によって理想を創造する「不易流行」の考え方を理念として活動してまいります。


 最後になりますが、和合という素晴らしい哲学を持った武道である合気道を広めることは世界平和の一助につながるとの信念のもと、本年も一人でも多くの方に合気道の魅力を知っていただけるよう更なる精進を重ね、また、合気道を修練している人は素晴らしいと言っていただけるように弛みなく、自己研鑽に努めてまいりたいと考えています。




 結びに、本年が皆様にとりまして明るく希望に満ちた実り多き年になりますことを心よりご祈念申し上げ年頭の挨拶といたします。


 本年もどうぞよろしくお願いします。


 平成30年元旦
  宮崎合気道会グループ師範代
  合気道元徳会道場長 小谷達也


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2017年12月22日金曜日

真の教養

 安岡正篤氏の著作の中に「真の教養」という一説がありますので紹介します。


 「およそ真の教養とは、人類の有する偉大な著作に親しむことによって得るものです。そこで昔から優れた定評のある良い書物を少しずつ読むことであります。

 人間としての教養の書、人としての哲学の書、修養の書というものを、注意して毎日たとえ三枚でも五枚でも、そういう書物を必ず読むようにする。いわゆる座右の書を持つことが必要です。」


 私の座右の書は「易経」です。
 あとそのほか数冊‥。


 最近、めっぽう忙しいので、本当に少しずつですが時間を見つけては目を通してます。
 もう無理して読むことはしていません。
 楽しいから読んでいます(笑)


 武道というと、なんとなく「禅の書物」みたいな印象がありますが、これはほんの一部です。実は、古来の武道家が一番多く座右の書としたものは易経だと思われます。


 この易経、いいですよ。
 宇宙の真理がこの一冊に詰まっています。


 全ての武道、全ての仕事、全ての方の人生等々に応用可能な書です。


 さぁ、お迎えまでにどれだけ理解できるのか楽しみです(笑)




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2017年12月15日金曜日

ツキを呼び込む魔法の言葉

 ベストセラーになった「ツキを呼び込む魔法の言葉」の著者である五日市剛氏のお話を紹介します。


 五日市さんが学生時代に海外を旅して回っていたところ、旅先のイスラエルで偶然出会ったおばあさんから、ある言葉を教わったそうです。


 その言葉が「ツキを呼び込む魔法の言葉」。


<魔法の言葉>
 ○嫌なことがおこったら「ありがとう」。
 ○嬉しいとき、楽しいときには「感謝します」。


 いやいや、これは単純だが奥が深いですぞ‥。


 使用方法も簡単です。
 この二つのありふれた言葉を、嫌なとき、そして、嬉しいときや楽しいときに自分自身につぶやくだけです。


 そうするといつの間にか「魔法の言葉」になっていくそうです。


<五日市剛氏講演録より>
「ピンチや嫌な出来事に感謝して呼吸を整えていくと、不思議とそれ以上、嫌な気分にはなりません。なぜかいい智恵がわいてきやすくなりますし、次の一手が浮かぶこともある。それをタイムリーに行動に移すと、どんなことでも意外と簡単に乗り越えられるようになるものです。

難題そのものに感謝して乗り越えると、それは大きな自信になります。すると精神的にも成長でき、同じミスは犯さなくなります。だから難があることは『有り難い』わけです。」


 「全てのことに感謝せよ!」


 良く聞く言葉です。しかし、実行に移すにはなかなかたいへんですよね。


 中村天風氏の天風哲学「絶対積極」も同じです。最初からその境地にはなかなかたどり着けるものではありません。


 まずは、この辺りから少しずつ初めてみるのがよいのではないかと感じた次第です。


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2017年12月8日金曜日

狂乱

 大好きな時代劇(小説)「剣客商売」に狂乱という回があります。


 重苦しいストーリーと悲惨な結末になんとも辛い思いはするのですが、秋山小兵衛が師匠として諭す言葉がなんとも味があってよいものです。


 内容は、足軽という身分に比して強すぎる腕前を持ったがために、うとまれ、踏みにじられ、孤独においこまれた本多丹波守の家人で無敵流の剣客・石山甚市。


 石山甚市は、やさしく扱ってくれたのは親と剣の師匠だけであったが、醜男で足軽の身でありながら無敵流の剣の達人であるがゆえに、武士仲間から恨まれ・疎まれて過ごしたために心が捻じ曲がった剣客となってしまった。


 ‥という感じですが、


 甚一に対し、小兵衛は‥。

 
 「お前さん、そんなに死にたいのかい。己の気持ちの赴くままに刀を振り回して斬ったり、斬られたり、それが真の剣の道か。今の世の中、剣の道を極めたところでいったい何になる。ともすればひとかどの剣士になることが、かえって己の生涯を誤ることにもなりかねん。」


  「一昨日お主が路上で手にかけた侍な、木村何某という黒田藩の侍で、剣の腕を買われて士官がかなった新参者だったそうだ。ところがあのような死に方をされては藩の名にかかわる‥。遺体は引き取るが下手人の探索は無用‥、一切無かったことにしてくれと申し入れがあったそうだ。どうじゃ、剣によって立つものは、剣によって滅ぶ。哀れなものではないかい‥。」と諭す。


 まったくそのとおりです。真の武道は人生の糧になるべきものです。‥がしかし、そのことを理解している指導者(師)は少数だと思います。


 競技、そして格闘技を志す者は指導者としての技量を求めて道場を選ぶべきです。しかし、自身の人生の向上、糧を願う者は、人間性の高い敬虔な人物を求めてほしいと思います。


 さて、その後、哀れに思った小兵衛は、大治郎の道場で一緒に稽古をしようと石山を誘う。


 「わしと一緒に稽古をすれば生き返るぞ。 真の剣術というものは、人を生かし己も生かすものじゃ。 己の強さは他人に見せるものではない、己に見せるものだ。このことを忘れるな。」


 その後、甚市は、「あのような人がいるんだなぁ。(小兵衛のことが)大きくて豊かで‥、何もかも包んでくれそうな、あのような人が‥。あの人(小兵衛)についていけば、‥そうすれば確かに‥、俺にも新たな道が見いだせるかもしれん。今とは別な心静かな道が‥。」 そう思った石山は、小兵衛の門人になることを決心した。


 秋山小兵衛はその胸中を思いやり声をかけてやろうとするのだが、一足遅く、侍は狂暴な血の命ずるまま無益な殺生に走る‥、狂った甚一に対し、小兵衛は約束した稽古と称し、やむなく斬ることに…。


 悲しい話です。


 深くは申しません。
 武道とは、剣とは、次の言葉に集約されていると思います。


 「剣道では島田虎之助が『それ剣は心なり。心正しからざれば剣また正しからず。すべからく剣を学ばんと欲する者は先(ま)ず心より学ぶべし』と言っている。心が正しければ正しい技、正剣になり、『心正しからざれば』。つまり邪心だとごまかし稽古になる。だから剣を志した者は先ず心を正しくせよということにである」 小川忠太郎剣道範士


 心というのは、正しくしようと努力すれば正しくなるし、放任しておくと糸の切れたタコのようになります。「放心を求めよ」と孟子が言っているように、自分の方へとって返す努力が大事です。


 しかし心を正しくすると言っても、心というものは、どこにあって、どんな形をしたものか、それを知らずに平常心などと言ってみても、それは本質を欠いたただ言葉に過ぎません。釈宗活老師も
「心とは自己なり」と言っています。結局のところ、心というのは自己、自分のことでしょう。


 武道の本質とは、ここにあるべきだと信じます。


 武道とは、心を宇宙の法則に合致させ、よりよい人生を歩ませることが本質です。


 武道と競技の違い、ここのところを誤らないように努めたいものです。

 
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